再開の辞

 「再開する」というほどブログやっていたことはないけど(ほとんどまったくやってない)、再開にはちがいない。書かずにはいられないから書く。その季節が50歳にしておれにもやってきたらしい。本名で書くからにはそれなりの覚悟が必要だし、責任も生じる。いろんなリスクがあることは承知だがこれでいく。

 いままで人並み以上に雑多なものをインプットしてきたと自負しているので、これからはアウトプットに注力するつもりだ。さしあたって順序も脈絡も完成度も気にしない。懺悔にちかいものになるかもしれない。

 じぶんがなにをかんがえているのか、文章にしないとはっきり自覚できない人間なのだと気がついた。これにかぎらず、大事なことはとりかえしのつかないことになってから気づくものだ。と、いまさら気がづいているおれはバカなのか。バカだね、ほんとうに。

 おれは人との関係性を長続きさせることが苦手らしい。いままでの愚行や思い上がりをおもうといますぐ死んでしまいたくなる。マイペースとよくいわれるが、たしかになににつけ世間や他人がどう思おうが関係ねーよと思っている。だが他人の思惑を顧慮しないことと、他人の立場や気持ちに思いをめぐらせないことはちがう。まわりのだいじなだいじなひとたちへの思いやり。おれには決定的にそれが欠けていたんだ。

 そんなことくらい文章にしないとわからんのか、おまえは!! わからないんだよね、きっとおれは。もう人を傷つけたくない、いい人間になりたい。いつの日かだいじなひとたちにおもいがつたわるといいな。