ブリューゲルのバベルの塔

 思いのほか小ぢんまりした絵だ。モノキュラーがなければ細部はおよそ判然としない(持っていって大正解)。この塔、とうてい完成はしないだろうと納得させる凶々しさを放っていた。

 東京都美術館で「バベルの塔」展が開催されている。ウィーンの美術史美術館のほうにあるバベルの塔は現地でみたことがあるが、こちらは初見。ブリューゲルバベルの塔っていったら、ある程度教養のある人たちの誰もがまっさきに思いうかべる絵だろう。

 バベルの塔そのものについては、「人間の奢りに対する神の怒りをあらわしたもの」「言語がたくさんあることの説明」などなどいろいろな解釈があるようなんだけど、ホントのところはどうなんだろうね。

 じゃあブリューゲルさんはなんでこんな絵を何枚も書いたの? それもよくわかってないみたい。そもそもブリューゲルについては全体に信頼できる資料があまり残ってないらしいんだよね。まあフランドルやネーデルラントなんて、イタリアやフランスにくらべ、あるいはイギリスにくらべたって文化的には昔もいまも辺境っていったら辺境だから、まあそんなものなのかもしれない。

 おそらくカトリックプロテスタントの対立だとか宗派がどうしたとかいう背景がおそらくはあるんだろうけど、われわれ日本人とってはどうでもいい話だ(ごめんね、異教徒で)。

 だいたいこの人の絵って、人がいっぱい出てきて、それぞれがいろんなことしてて、一目みただけじゃぜんぜんなんだかわかんないのが多いんだよね。この絵にもいろんな人がいろんなことをしているみたいなんだけど、みんな小さくて実物で確認するのはむずかしい。

 塔の構造はたぶん下から螺旋状の通路が上に向かってずっとつづいていて、会津のさざえ堂とか、表参道ヒルズとか(ちょっと違うか)、あんな感じみたい。塔の上部は雲の高さを越え、雲上部分は暗いトーンに彩色されている。

 それでこの絵からなにを感じるのかというと、当然なにを感じようが自由なんだけど、現代のわれわれには科学と技術の限界を自覚せよ、あるいは人類が手を出してはいけない聖域が存在するのだといっている気がする。まあ、ありきたりの解釈なんで、書くほどのこともないんだけど。ブルジュ・ハリファやドバイをみると、「これはマズいんじゃないの?」とおもうけど、その直感は案外正しいんじゃないかな。

 直接ことばで説かれるのと、アレゴリーとして絵画や物語をとおして感じることは別の次元の体験なんだよね。見にいって損はしないとおもうよ。